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浪江町の現在(2022年)とVIDES JAPANの関わり

浪江町の現在(2022年)とVIDES JAPANの関わり

2022/08/07 | 事務局からのお知らせ, VIDES

前回のこちらの記事では、日本が他国に対して、その災害の歴史、そしてそれによって培われたアイデンティティが、世界に対してユニークな発信をすることができるものであることを、考えてきました。
その歴史は、江戸時代の災害への対応による精神形成、戦後復興の共同体意識、そして1990年代のNPO法の誕生などに見られるボランティアとの繋がりにも、発展していきました。

今回は、こうした歴史を背景に、具体的にVIDES JAPANが今まで震災の被害を受けた福島との繋がりについてを見ていきます。
そして、それを土台にした今後の活動の展望についても、考えていきます。

VIDESと福島県浪江町
VIDES JAPANは、1998年から浪江町との繋がりを持ってきました。
その詳しい流れは、こちらからもご覧ください。

浪江町の持つ自然環境や人々の温かみが、VIDESの考えるボランティア精神とも通じ、当時からVIDES JAPANのボランティアが、自らの養成も兼ねて、浪江に訪問をしていました。
大自然体験ツアーや、稲作、芋掘りの手伝いなど、体験を通して学ぶ姿が、ボランティア教育の根幹であり、その形の原点をVIDES JAPANとして養った場所でもありました。

震災後の対応
こうしたボランティア体験を通して、関係性を深めてきた浪江にも、大震災が訪れました。
2011年、東日本大震災を受け、VIDES JAPAN特別災害援助プロジェクトを実施しました。
浪江町請戸の皆さんに対する支援を中心に、支援をしました。

現在の浪江町の大平山霊園は、当時の震災で亡くなった方の霊園となっています。
その霊園からは、当時の震災時にどの位置から津浪が来て、どのように人々が大平山霊園の丘まで逃げてきたか、全てを見ることができます。
こちらから、関連動画をご覧ください。


請戸小学校

請戸小学校は、津波を受けて大平山霊園に逃げた生徒、先生方のストーリーを語る上で、欠かせない存在です。
その学校は、現在は一般公開され、当時のエピソードが公開されています。
こちらから、具体的な請戸小学校の物語を、見ることができます。

VIDES JAPANが関わってきた浪江町は、こうした日本の震災を通した人々の忘れてはいけないストーリーが多くある場所です。
この場所が、VIDESの考えるボランティア教育に対して持つポテンシャルはなんでしょうか。
それを考えた時、私たちがそれを発信するべきとき来ていると、感じています。

これから、具体的な活動について模索し、皆さんにこのホームページ、ソーシャルメディアなどを通して、お伝えできればと思います。