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「2025年3月 浪江町訪問」     

「2025年3月 浪江町訪問」     

2025/04/06 | VIDES, 浪江プロジェクト

「2025年3月 浪江町訪問」       鈴木裕子

3/10〜12まで福島県浪江町を訪問しました。私は東日本大震災14年目にして初めての訪問でした。テレビや新聞報道では伝わらない現実を知り、感じました。

自分の田んぼで田植えをしたくても立ち入る事も叶わない草茫々の土地が広がっている様子は何とも悲しい景色でした。空き家になった家が多く、ふるさとに帰りたくても帰れない事情がある事、津波被害以上に原発の被害が大きな影響である事を現地に行ってみて特に感じました。

カトリック原町教会での慰霊ミサでは被災された方々とボランティアの方々が長年繋がっていらっしゃることもわかりました。今後は特に心のケアが大切になるので支援方法についてもミサ後話し合われました。初めて訪問した私も分かち合いに入れて頂き、長きにわたりつながってこられた温かい雰囲気の中、自分にも何か手伝えることがあるのかな〜と思わせてくれました。この分かち合いの中心にはイエス様がいらっしゃったと思います。

今回の訪問の機会をいただけたことを感謝し、今後もキリストの愛の実践の為に関わり続けたいと思います。ありがとうございました。

 

「4回目の福島浪江町の訪問」       飯田京子

 2025年3月10日(月)〜3月12日(水)に福島県浪江町まで東日本大震災の被災者のためのお祈りに行きました。VIDES祈りの会から鈴木裕子さんと二人で訪問をしてきました。電車で3時間、上野駅から浪江町まで乗り換えなく楽に行くことができました。

初めて訪問した2013年4月は、どこから手を付けて良いか分からない瓦礫の山の状況、2度目の訪問の2020年2月は、人がおらず猪が土地を荒らし、トラックだけが行きかう状態でした。3度目の訪問となった2023年6月には立派な道の駅ができ復興を実感しましたが、4度目の訪問の今回はさらに人が移り住み、お店なども増えて活気が出てきていて驚きました。

 災害から14年目の3月11日の朝に浜辺に祈りに行きました。海に手を触れて祈ることができました。初めて浪江町に来た時から抱いていた海に触れて祈りたいという思いがやっと叶いました。3人で祈っていると新聞記者の方々から取材を受け、代表して稲川シスターがインタビューを受けました。被災された方々の気持ち、これからのことなどを語り、ネットニュースとして取り上げられました。14年間共に寄り添ってきた想いを公に伝える場所を神様が与えてくださったことを感謝いたしました。

 今回宿泊させていただいたのは、VIDESボスコ未来センターでした。とても気持ちよく祈り、休むことができました。新たにボランティアの人々や地元の人々が集うことができる場所ができ、これからの希望が広がりました。この場所から、天に召された方々のために祈り、この土地に住む方々のために活動ができます。カトリック信者として、信徒使徒職を果たし、神様と共に寄り添い働いていきたいと思います。

(以下新聞記事の内容)

「朝日新聞」 海岸で祈る人たち

 福島県浪江町の請戸海岸で11日、海に向かって手を合わせる稲川孝子さん(80)ら。稲川さんは10歳で引っ越すまでこの地区で生まれ育ち、東日本大震災で親戚や友人を亡くした。現在は東京都内に住みながら浪江町内にも拠点を構え、子どもたちの教育や帰還住民の心のケアなどに取り組んでいる。

 稲川さんは対岸に見える東京電力福島第一原発を見ながら、「地震や津波の自然災害だけでなく、原発事故もあったことで、町の人たちはより深く傷ついた。人間がつくったものには限界があるということ。それでも、起きてしまったことにけじめをつけて前進しないと、本当の復興はできない」と話した。

「産経新聞」

また、請戸地区で10歳まで過ごした稲川孝子さん(80)=東京都北区=は、友人と3人で早朝の海岸を訪れた。稲川さんは昨年11月から浪江町と2拠点生活をして教育ボランティアを行っている。「子供のころの友人が大勢亡くなった。大きな自然災害よりも原発事故がショックだった」と話す稲川さんは「今も心のケアが必要な人がいると感じている」という。